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最高裁判所第二小法廷 平成4年(オ)77号 判決 1996年3月08日

上告人

京都府

右代表者知事

荒巻禎一

右訴訟代理人弁護士

香山仙太郎

右指定代理人

後藤廣生

外二名

被上告人

原田咲子

原田徹

右両名訴訟代理人弁護士

渡辺馨

稲村五男

荒川英幸

浅野則明

高山利夫

川中宏

村山晃

森川明

村井豊明

久保哲夫

飯田昭

岩橋多恵

佐藤健宗

藤浦龍治

近藤忠孝

主文

原判決中、上告人の敗訴部分を破棄する。

右部分について被上告人らの控訴を棄却する。

控訴費用及び上告費用は被上告人らの負担とする。

理由

上告代理人香山仙太郎、同佐々木孝敏、同後藤廣生、同中野饒の上告理由第三について

一  原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

1  京都市は、美観風致を維持し、公衆に対する危害を防止するため、屋外広告物及び広告物を掲出する物件について必要な規制を行うことを目的として、京都市屋外広告物条例(昭和三一年京都市条例第二八号。平成元年京都市条例第六〇号による改正前のもの。以下「本件条例」という。)を制定し、市長が公益上又は慣例上やむを得ないと認めたときを除き、「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所その他これらに類するもの」について広告物を表示することを禁止し(本件条例五条二項四号)、右禁止行為に違反した者を五万円以下の罰金に処すること(本件条例一三条一号)などを規定していた。

2  原田昭次郎(なお、同人は平成二年二月二五日に死亡し、その妻子である被上告人らが本件訴訟を承継した。)は、京都市山科区御陵荒巻町五一番地の二〇に居住していた者であるが、日本共産党京都東地区委員会から周辺地域の同党掲示板にポスターを貼付することを依頼され、昭和六二年七月二二日午後二時二〇分ころ、京都市山科区北花山大林町五五番地先の国道一号線と市道川田道とが交わる交差点(以下「本件交差点」という。)の東北角の歩道とその北側の水路との間に設置された歩行者の転落防止用の鉄製の防護柵(高さ約一メートルで、縦に桟が並んだ形状のもの。以下「本件防護柵」という。)に取り付けられていたベニヤ板製の同党の掲示板(縦約60.5センチメートル、横約45.6センチメートルのもの。以下「本件掲示板」という。)に「赤旗写真ニュース」というポスター一枚(縦約六〇センチメートル、横約四二センチメートルの大きさで、日本共産党の宣伝車などの写真と赤旗の購読を勧める文章などが印刷されているもの。以下「本件ポスター」という。)を貼付した(以下、原田の右貼付行為を「本件貼付行為」という。)。原田は、本件貼付行為の当時、本件ポスターと同内容の「赤旗写真ニュース」と「平和のための戦争展」というポスター合計約三〇枚を紙袋に入れて所持していた。

3  京都府警察山科警察署(以下「山科署」という。)花山警察官派出所に勤務する嶋田歩巡査(以下「嶋田巡査」という。)は、原田の本件貼付行為を現認し、これが本件条例に違反する疑いがあるものと判断して、原田を追跡し、本件交差点の東方約八〇メートルの国道の北側歩道上で原田を制止した。

4  嶋田巡査は、原田に対し、「国道一号線の川田道でポスターを貼ったでしょう。京都市屋外広告物条例違反になるから住所、氏名を教えてください。」などと質問をしたが、原田は、「前に選挙用のポスターが貼ってあったところやから貼ったんや。」と答えたものの、住所や氏名は答えようとしなかった。そのため、嶋田巡査は、原田に対し、更に数回、住所や氏名を明らかにするよう求めたが、原田は、「お前こそ名前を言うたらどうや。」と反問したので、嶋田巡査は、「嶋田です。」と答えたが、原田は、「わしははらだや。なんでそこまで言わないかんのや。」と答えるのみで、それ以外の事柄については言う必要がない旨を述べて、結局、住所や氏名などは明らかにしなかった。

5  山科署花山警察官派出所に勤務する丸山美都志巡査部長(以下「丸山巡査部長」という。)は、山科署から嶋田巡査の応援の指令を受け、同日午後二時二四分ころ、本件交差点に到着した。ところが、原田は、嶋田巡査が丸山巡査部長と無線で交信中に、国道の南側歩道上にある電話ボックスへ電話をかけに行くと言って、嶋田巡査のもとから立ち去ってしまっていた。そこで、丸山巡査部長は、原田を追跡し、国道の南側歩道上で原田に追い付き、「ちょっと待ってください。」と呼び止めたが、原田は、「なんや、電話かけに行くんや。もうひとりの巡査に言うたる。」と言って、更に歩いて行こうとしたため、丸山巡査部長は、再度原田を呼び止めて、「先程の巡査は電話をかけに行くのを許してない。あなたが勝手にそう思うだけでしょう。住所、氏名を言ってください。」と求めた。ところが、原田は、これに答えず、丸山巡査部長の脇を通って立ち去ろうとしたため、丸山巡査部長は、再度、住所や氏名を質問すると、原田は、「わしは、はらだや。御陵荒巻町のはらだしょうじろうや。電話は共産党の東地区委員会に聞けや。電話は五九一の七八五一や。」と答えたので、丸山巡査部長は、身分証明書など本人と確認できるものの所持の有無及び自宅の電話番号などを質問したが、原田は、そんなもん持ってへん。電話番号なんか言う必要がない。」と答えた。そこで、丸山巡査部長は、同日午後二時四〇分ころ、原田を本件条例違反の現行犯人として逮捕した(以下「本件逮捕」という。)。

6  原田は、昭和六二年七月二二日午後二時五〇分ころ山科署に引致された後同月二四日午前一一時ころ京都地方検察庁の検察官に送致されるまでの間、山科署の司法警察員のもとで留置された。

7  捜査主任官を命じられた山科署の辻信夫警備課長(以下「辻警備課長」という。)は、捜査員をして、昭和六二年七月二二日午後四時三〇分ころから午後六時ころまで、本件貼付行為の現場付近の実況見分、本件ポスターと本件掲示板の差押え、御陵荒巻町における聞き込み捜査などを実施させるとともに、同町を管轄する警察官派出所に備付けの案内簿を確認させたところ、被疑者によく似た人物が同町内に居住しており、右案内簿にも原田という人物の住所や氏名の記載のあることが判明した。

8  昭和六二年七月二二日午後五時ころ原田と接見した弁護士らは、山科署副署長に対し、「被疑者の身元を引き受け、住所、氏名、電話番号を明らかにし、今後の出頭について責任をもつ。」旨を申し出て、原田の釈放を求めたが、これを拒否されたので、結局、原田の住所や氏名などを明らかにしないまま、同日午後八時ころ山科署から立ち去った。

9  辻警備課長は、昭和六二年七月二三日午前、山科区役所において捜査員に住民票台帳を閲覧させたところ、御陵荒巻町五一番地の二〇に原田という人物が居住していることが判明したので、同区役所に身上調査照会をして、同日正午ころ、同区役所からの回答により右人物の住所、生年月日及び家族構成などを知るに至った。なお、辻警備課長は、昭和六二年七月二二日午後四時二〇分ころから午後五時ころまでと午後六時四〇分ころから午後七時四〇分ころまでの二回、翌二三日中に三回、二四日中に一回、原田に対する取調べを実施したが、原田は、本件貼付行為及びこれに関する事項のみならず、住所、氏名等の人定事項の一切についても完全に黙秘していた。

10  京都地方検察庁の検察官は、山科署から原田の送致を受けた後の昭和六二年七月二四日午後三時五三分ころ、原田を釈放した。

二  原審は、右事実関係の下において、次の理由で、昭和六二年七月二三日の昼ころには原田の留置を継続する必要性が消滅していたから、それ以降の留置の継続については国家賠償法一条一項の違法性が認められ、かつ、捜査結果の検討と留置継続の必要性の判断に要する時間を考慮に入れても、同日午後五時以降の留置については捜査機関の過失も認められるとして、被上告人らの本件損害賠償請求を一部認容した。

1  本件条例が定める程度の規制は、都市の美観風致の維持などの条例の目的に照らし、表現の自由に対して許された必要かつ合理的な制限と解されるから、本件条例が憲法に違反するものということはできない。また、本件条例の目的が京都市の一般的な美観風致を保護しようとするものであることにかんがみれば本件逮捕に合理性がないとはいえず、本件逮捕が日本共産党の政治活動を抑圧するためにされたとも認められないから、本件貼付行為に本件条例を適用したことが憲法に違反するものということもできない。

2  本件条例五条二項四号所定の「これらに類するもの」とは、同号に例示されている「郵便ポスト、公衆電話所、公衆便所」に類する公共用物件であって、放任するときは無秩序な広告物の表示又は広告物を掲出する物件の設置を招きやすく、ひいては、京都市の美観風致を維持し、公衆に対する危害を防止するとの本件条例の趣旨及び目的を阻害するおそれのある物件をいうものと解されるところ、本件防護柵は、右の物件に該当する。したがって、原田の本件貼付行為は、本件条例五条二項四号に違反するものである。

3  原田は、本件貼付行為後も、罪を犯したことを認めず、人定事項も十分には明らかにしようとしなかったから、本件逮捕については、犯罪の嫌疑及び逮捕の必要性その他現行犯逮捕の要件に欠けるところはない。

4(一)  現行犯逮捕に続く原田の当初の留置は、本件貼付行為に関する証拠を収集し、同人の身元を確認するために必要であったから、適法なものであった。

(二)  しかし、逮捕当日におけるその後の本件貼付行為の現場付近の実況見分及び本件ポスターなどの差押えにより公訴を維持するために必要な証拠を確保することができたこと、聞き込み捜査や山科区役所からの身上調査照会に対する回答などにより昭和六二年七月二三日の昼ころまでには原田の身元を確認することができたこと、本件貼付行為は、本件防護柵に本件ポスターを貼付したという単純な行為であって、組織を背景とし、隠れた動機の下に行われたと考える余地のない比較的軽微な犯罪であることなどにかんがみれば、同日の昼ころの段階で原田の留置を継続する必要性は消滅したものというべきであり、右時点以降の原田の留置は違法なものであった。そして、本件貼付行為の性質、態様、捜査の経過等諸般の事情に照らせば、捜査機関としても、留置の必要性が消滅したことを認識し、釈放の措置に出るのに数時間あれば足りるから、遅くとも昭和六二年七月二三日午後五時ころ以降の原田の留置の継続については、捜査機関の国家賠償法上の過失も認められる。

三  しかしながら、原審の右二4の(二)の判断は、これを是認することができない。その理由は、次のとおりである。

1 司法警察員による被疑者の留置については、司法警察員が、留置時において、捜査により収集した証拠資料を総合勘案して刑訴法二〇三条一項所定の留置の必要性を判断する上において、合理的根拠が客観的に欠如していることが明らかであるにもかかわらず、あえて留置したと認め得るような事情がある場合に限り、右の留置について国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受けるものと解するのが相当である。

2  そして、司法警察員が現行犯逮捕された被疑者を受け取ったときは、直ちに犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができる旨を告げた上、弁解の機会を与え、留置の必要がないと思料するときは直ちにこれを釈放し、留置の必要があると思料するときは被疑者が身体を拘束された時から四八時間以内に書類及び証拠物とともにこれを検察官に送致する手続をしなければならないが(刑訴法二一六条、二〇三条一項)、ここにいう「留置の必要性」は、犯罪の嫌疑のほか、「逃亡のおそれ」又は「罪証隠滅のおそれ」等から成るものである。

3  以上によって本件をみるに、前記の事実関係によれば、(一) 原田は、嶋田巡査及び丸山巡査部長の職務質問に対し、罪を犯したことを認めず、非協力的態度に終始し、警察官のもとから立ち去ろうとする態度を示し、人定事項も十分には明らかにしようとしなかった、(二) 原田は、丸山巡査部長の職務質問に対し、「わしは、はらだや。御陵荒巻町のはらだしょうじろうや。電話は共産党の東地区委員会に聞けや。電話は五九一の七八五一や。」と答えたが、身分証明書など本人と確認できるものを所持しておらず、自宅の住所及び電話番号の詳細については答えなかった、(三) 原田は、逮捕後の取調べに対しては、本件貼付行為及び住所、氏名を含めた一切の事項について一貫して完全に黙秘していた、(四) 原田と接見した弁護士も、原田の住所や氏名を明らかにしなかった、(五) 原田は、現行犯逮捕の時点で、本件ポスターと同様のポスターを約三〇枚所持しており、日本共産党京都東地区委員会から周辺地域の同党掲示板にポスターを貼付することを依頼された旨を述べていた、というのである。これによれば、昭和六二年七月二三日の昼ころ以降の時点においても、捜査機関が、依然として、本件貼付行為の規模、動機、組織性などを解明する必要性があると考えていたとしても、さらには釈放された原田が右の諸点について罪証隠滅を図るおそれが疑いの余地のないほどに消滅していると断定するに至らなかったとしても、それらが直ちには合理的根拠に欠けていたということはできない。

してみれば、本件貼付行為が本件掲示板に本件ポスター一枚を貼付したという単純かつ比較的軽微な犯罪であることをしんしゃくしても、昭和六二年七月二二日午後二時五〇分ころの山科署への引致の時点から同月二四日午前一一時ころの検察官送致の時点までの間に、原田の留置の必要性が消滅していたことが客観的に明らかであったとまでいうことはできない。したがって、山科署の司法警察員が、捜査により収集した証拠資料を総合勘案して刑訴法二〇三条一項所定の留置の必要性があるものと思料し、昭和六二年七月二四日午前一一時ころまで原田の留置を継続した措置については、国家賠償法一条一項の違法性を肯定するために必要とされる事情、すなわち合理的根拠が客観的に欠如していたことが明らかであるにもかかわらず、あえて留置を継続したと認め得るような事情はなかったものというべきである。

四  そうすると、右と異なる解釈の下に、昭和六二年七月二三日午後五時以降の原田の留置については国家賠償法一条一項の違法性が認められるとした原審の判断は、国家賠償法一条一項の解釈適用を誤ったものであり、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、他の上告理由について判断するまでもなく、原判決中上告人の敗訴部分は破棄を免れない。そして、前記説示に徴すれば、被上告人らの本件損害賠償請求はすべて理由がないことに帰し、これと結論を同じくする第一審判決は正当であるから、右部分に対する被上告人らの控訴は理由がなくこれを棄却すべきものである。

よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条、九三条に従い、裁判官河合伸一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官河合伸一の反対意見は、次のとおりである。

私は、多数意見と異なり、原判決を維持し、上告人の上告を棄却すべきものと考えるので、以下その理由を述べる。

一  捜査機関は、逮捕した被疑者を留置する必要があると思料するときは一定時間内これを留置することができるとされているが、留置の必要性が消滅したときは、制限時間内であっても、直ちに被疑者を釈放しなければならない。そして、留置の必要性があるというためには、当該事案の罪質及び軽重、証拠収集の状況と見込み、被疑者の年令及び生活状況等を総合的に考慮して、罪証隠滅のおそれ等が具体的かつ客観的に存在し、それとの対比において被疑者の身柄の拘束を継続することが正当であると認められることを要すると解すべきである。

二  これを本件についてみるに、原審の確定した事実関係によると、昭和六二年七月二三日昼ころの時点において、捜査機関は、既に原田の身元を確認し、本件貼付行為について公訴を提起して有罪判決を得るのに十分な資料を確保していたと認められるのであって、本件犯行の罪質や法定刑等からすると、更に原田の身柄の拘束を続けてまで、それ以上に本件貼付行為の規模、動機、組織性などの情状に関する証拠を収集する必要があったかには疑問がある。のみならず、仮に右証拠収集の必要があったとしても、原田の釈放がどのように右諸点についての罪証の隠滅につながるのか、換言すると、本件の事実関係の下において、右時点で原田を釈放した場合に同人がどのような方法で右罪証隠滅を図るおそれがあると具体的かつ客観的に考えられるのか、理解することができない。現に、記録によっても、右時点以降原田が釈放されるまでの間には、逮捕の当初から黙秘権を明確に行使していた同人の取調べを重ねて試みた以外には、格別の捜査活動はされていないようであり、殊に同人の身柄拘束中にすることが必要ないし効果的と考えられるような捜査が実施された形跡はうかがえないのである。

したがって、右時点ころには原田に対する留置継続の必要性が消滅していたとの原審の認定判断は、正当として是認すべきものである。

三  もっとも、留置を継続する要件としての必要性が客観的に消滅したときに捜査機関が被疑者を釈放しないことが、直ちに国家賠償法一条一項の責任を発生せしめると解することは相当でない。けだし、右責任発生の有無は同法自体の立場からこれを決すべきであるし、また、逮捕後の留置については、それが捜査活動の初期にされるものであり、捜査機関は事案の解明が流動的な段階で比較的短時間の間に前記必要性の存否を判断しなければならないなどの事情があるからである。しかし、原審は、それらのことも考慮して、前記の時点以降同日午後五時ころまでの留置については捜査機関に過失がないとしたものと認められる。

留置は基本的人権たる身体の自由を直接かつ現実に侵害するものであるから、留置を担当する捜査機関は不必要にこれを継続することのないよう常に注意すべきことが求められる。したがって、留置の必要性が消滅し、かつ、逮捕後の留置についての前示の事情を考慮してもなお、捜査機関においてその消滅を認識し得たし、認識すべきであったと認められる場合は、国家賠償法一条一項に該当すると解するのが相当である。そして、本件の事実関係においては、捜査機関は、原審が猶予した右時間内には原田の留置の必要性が消滅していることを認識し得たし、認識すべきであったと認められるから、右猶予時間を超えて捜査機関が原田を釈放しなかったことを国家賠償法一条一項における違法と評価するか、あるいは故意・過失の問題として処理するかはともかく、いずれにしても、右午後五時ころ以降の原田の留置につき上告人の国家賠償責任を認めた原審の判断は正当として是認することができる。多数意見がその三項1で判示する基準は、裁判所に対して審判を求める意思表示たる検察官の公訴提起については妥当するとしても、そのような特質を有しない逮捕後の留置には妥当しないと考える。したがって、右基準に基づき原判決には国家賠償法一条一項の解釈適用を誤った違法があるとする多数意見には賛成できないのである。

(裁判長裁判官福田博 裁判官大西勝也 裁判官根岸重治 裁判官河合伸一)

上告代理人香山仙太郎、同佐々木孝敏、同後藤廣生、同中野饒の上告理由

《目次》

第一 刑訴法第二〇三条第一項規定の留置の必要性に関する原判決の解釈の誤り<省略>

第二 刑訴法第二〇三条第一項規定の留置の必要性に関する原判決の具体的解釈・適用の誤り<省略>

第三 国賠法第一条第一項規定の「過失」及び「違法」に関する原判決の解釈・適用の誤り

一 原判決による「過失」及び「違法」の認定に関する判示

二 国賠法第一条第一項規定の「過失」及び「違法」の意義

三 原判決における具体的な解釈・適用の誤り

1 初期捜査の流動的特性についての認識の欠如

2 「過失」及び「違法」認定における具体的な解釈・適用の誤りと理由不備の違法

第四 結語

一 留置継続の必要性に関する原判決の解釈・適用の不当性

二 国賠法上の「違法」認定に関する原判決の解釈・適用の不当性

三 まとめ

第三 国賠法第一条第一項規定の「過失」及び「違法」に関する原判決の解釈・適用の誤り

一 原判決による「過失」及び「違法」の認定に関する判示

原判決は、昭次郎の留置継続に関し、「昭次郎に対する留置継続の必要性は、二三日昼頃には消滅したものであり、それ以後二四日午後三時五三分頃山科署において釈放されるまでの留置は、留置の必要性を欠く違法なものであったといわざるを得ない。もっとも、国家賠償法により国または公共団体が損害賠償の責任を負うには、公権力の行使の違法性とともに公務員の故意、過失を要件としているところ、初期捜査の流動性、重要性を考慮すれば、客観的にみて留置の必要性が消滅しても、捜査機関がこれを認識し、釈放の措置にでるまでに若干の時間を要するものであり、その間の留置については、捜査機関に過失がないものとして、国家賠償法による賠償責任を負わないと解するのが相当である。これを本件についてみれば、客観的には二三日の昼頃、昭次郎に対する留置継続の必要性が消滅したことは前記認定のとおりであるが、捜査機関が二二日の逮捕後における捜査の結果を検討し、留置継続の必要性を判断するのに若干の時間を必要とするものといえるから、その間の留置については捜査機関に過失があると認めることはできないというべきである。しかし、前記認定の本件被疑事実の性質、態様、捜査の経過等、諸般の事情を総合してみれば、捜査機関としても、本件につき留置の必要性が消滅したことを認識し、釈放の措置にでるのに数時間あれば足りるものと考えられるから、遅くとも二三日午後五時頃以後の留置の継続に対しては捜査機関の過失を認めることができるものであり、同時刻以後の留置につき、被控訴人は昭次郎に対し、国家賠償の責任を負うべきものと判断するのが相当である。」と判示し(一〇丁裏一一行ないし一二丁表二行)、留置継続の一部を国賠法上の「違法」としている。

しかしながら、右判断には、次項以下において詳述するように、国賠法第一条第一項に規定する「過失」及び「違法」についての解釈・適用の誤りがある。

二 国賠法第一条第一項規定の「過失」及び「違法」の意義

国賠法第一条第一項に規定する「過失」は、行為の主観的帰責要件であるから、公務員個人の主観的認識を基準とするものであって、公務員の注意義務の内容は、公務員個人の知識・能力によって定まるのではなく、その公務員の地位で職務を果たすのに客観的に要求される注意義務、すなわち、過失認定の基準を抽象的過失の有無に求めるべきであり(最高裁判昭三七・七・三民集一六巻一四〇八頁、同旨最高裁判昭四三・四・一九判時五一八・四五)、公務員に求められるのは完全無欠な行為ではなく、注意義務に反したというには、その過誤が明白である場合にのみ過失が認められるべきである。

さらに、同項に規定する「違法」とは、行為の客観的帰責要件であり、国賠法上の責任は代位責任であるから、当該公務員の職務義務違反となる行為を意味するものである。すなわち、民法第七〇九条の一般的不法行為においては、違法性は「権利侵害」にほかならないのと異なり国家賠償責任における違法性は、公権力の主体がその行使に当たって遵守すべき行為規範ないし職務義務に違反しているか否かにかかわるというべきである(遠藤博也著「国家補償法・上巻」一六二頁以下)。

具体的事例としてどのような場合に当該公務員の行為が職務義務違反となるかは一概には論じ得ないが、本件に引用し得るものとしては、逮捕・勾留・公訴の提起及びその維持などの判断基準として、芦別国家賠償請求控訴事件についての札幌高裁判決昭四八・八・一〇(判時七一四・一七)及び同上告事件についての最高裁判決昭五三・一〇・二〇(判時九〇六・三)が一応の目途となる。

同最高裁判決は、「警察官又は検察官の判断が、証拠の評価について通常考えられる個人差を考慮に入れても、なおかつ行き過ぎであり、経験則、論理則に照らして到底その合理性を肯定することができない程度に達している場合に違法性を帯びるもので、無罪判決が確定したとしても直ちに違法性を帯びるものではない。」旨の札幌高裁の判示を是認したものであり、いわゆる「結果違法説」(「違法性は加害行為の客観的側面であり、公務員の主観的側面である故意又は過失とは区別すべきものであるから、故意又は過失の要件は別途に認定すべきである。」等とする説)を否定し、「職務行為基準説」の立場に立つことを明確にした最初の最高裁判決とされている。

通説は、国賠法第一条の故意過失を主観的要件とし、違法性を客観的要件として区別しているのであるが、「職務行為基準説」がとられる類型に属する事案(本件もこれに属すると認められる。)においては、過失の問題が違法性判断に繰り上げられて総合的に論じられるのであり、故意過失の認定判断は、違法性のそれと密接不可分である(村重慶一編「裁判実務大系一八・国家賠償訴訟法」一五四頁、一五五頁、室井力編「基本法コンメンタール・行政救済法」三九頁参照)。

これらの点を本件に即して換言すれば、本件捜査主任官が誰であっても、当時の状況下においては、何人も昭次郎の留置を継続しなかったであろうと考えられる場合に限り、国賠法第一条第一項上の過失ありというべき(同旨前掲最高裁判昭三七・七・三、最高裁判昭二八・一一・一〇民集七巻一一七七頁等)であり、誰がみても明らかに留置の必要が認められない場合、すなわち、「捜査主任官の判断が、留置の必要性について通常考えられる個人差を考慮に入れてもなおかつ行き過ぎであり、経験則、論理則に照らして到底その合理性を肯定することができない程度に達している場合」であれば別として、次項以下で詳述する如く、本件留置の継続については、国賠法第一条第一項の「過失」はなく、当然に「違法」もないといわなければならない。

また、本件は、前項第二で述べたごとく、誰が捜査主任官であっても、本件捜査主任官と同様の判断をしたであろうと思料される状況があり、本件留置継続についての判断には一応の合理的根拠が認められるべきであるから、原審が、たとえ、本件留置が妥当性を欠くと判断しても、国賠法第一条第一項の「過失」及び「違法」は否定されるべきである。

原判決は、国賠法上の過失の点を検討することなく、いきなり違法性の有無につき判断していると認められ、したがって、過失認定の具体的理由については定かではなく、国賠法第一条第一項の「過失」及び「違法」の解釈・適用を誤っているといわなければならない。

三 原判決における具体的な解釈・適用の誤り

1 初期捜査の流動的特性についての認識の欠如

刑事事件の捜査は、流動的発展の過程をたどるものである。特に、あらかじめの捜査に基づく通常逮捕と異なり、現行犯逮捕の場合は、その傾向は顕著である。外形的に軽微とみられる犯罪が、結果として複雑又は重大事件へと発展した事例も少なくないことは論を待たないところである。

捜査に従事する者は、すべて犯罪行為の外形のみにとらわれることなく、事件の背後を洞察しようとする観点を有することが要求されているのであり、現行犯逮捕に続く留置要否の判断においても、明らかに留置の必要がないと認める以外は、そのような観点からも四八時間の留置時間内に必要と思料する捜査を継続し、検察官に処分を委ねようとするものである。

したがって、捜査の結果としての事後の判断によって、四八時間の留置継続について、適・不適の問題が生じることもあり得るが、この点を留置の途中で的確に判断することは実務的には微妙で困難な問題(もちろん、留置の途中であっても判断の的確化に努力することは当然であるが)でもあり、初期捜査の流動性からやむを得ないものとして是認されなければならない。このことは、前項第一の一で述べた留置継続の必要性についての裁量権の故縁でもある。

原判決が、国賠法上の「過失」及び「違法」の解釈・適用を誤った遠因として、このような初期捜査の流動的特性に対する認識の欠如がある。

2 「過失」及び「違法」認定における具体的な解釈・適用の誤りと理由不備の違法

先ず、「過失」認定の誤りについて述べる。

本件逮捕前後の状況について照らした場合、本件捜査に当たった捜査官には過失は存在しないといわなければならない。

過失とは結果発生の予見可能性と結果回避義務履行の期待性にあるところ、本件留置継続については、「違法」という結果を発生させるとの認識を捜査官に求めることはできない。すなわち、逮捕前の昭次郎の言動、逮捕後の黙秘の継続、犯行の原因・動機・背後性などの捜査の必要性等から、事案の真相究明に当たる捜査官として、その職務を忠実に執行したものであって、留置の継続が違法とはいささかも考えてはおらず、また、そのように判断することが当然といえる状況にあったのである。しかも、本件の事件処理に当たっては、本件犯行が外形上、一見「軽微」なようであっても、前述のような初期捜査の流動的特性を踏まえた上で、事件がどのような発展をたどるかについての予測が困難な故もあって、迅速かつ的確な捜査処理のために事件発生後ただちに「京都府警察本部からは、約二〇名の捜査員が派遣された。」(原審引用一審判決二三丁表一一行ないし同丁裏一行)のであり、さらに、昭次郎の身柄拘束の時間が二二日午後二時四〇分の逮捕から二四日午前一一時の送致までの四四時間二〇分(釈放については、二四日午後三時四〇分検察庁からの釈放指揮書が山科警察署に到達し、同五二分釈放となり、同五三分に署外に出たものである。)であることも、可能な限り身柄拘束時間の短縮に努めた配意(留置についての裁量権の合理的運用)を示すものであり、捜査機関が本件捜査を殊更遅延させた事実もないのである(当然に、捜査の遅延を認めるに足る証拠も存在しない)。

国賠法第一条第一項にいう「過失」の認定を判断する場合に、「学説・判例が区々に分れ、解釈に疑義のあるとき、その一説をとって処理したことが、結果的には違法であっても、その一説をとった処理が過失にもとづくといえないことには、異論はない。」(古崎慶長著「国家賠償法」一五四頁)のであり、この見解は、最高裁判決昭四一・七・一五(訟務月報一二巻八号一一八九頁)において明確となっている。

留置の継続についての学説・裁判例も、前項第一で述べたように、その見解は区々に分かれている傾向も認められ、その中には捜査機関による留置の裁量権を認める見解も数多く存在するのであるから、仮に、結果的に本件留置が刑訴法上の解釈として妥当性を欠くとの評価を受けるとしても、本件留置継続が国賠法第一条第一項にいう「過失」に当たるものではないというべきであり、本件第一審判決が本件留置を適法と判断したことも、そのことの証左でもある。

さらに、原判決には、留置継続の判断に対する過失認定についての理由不備がある。すなわち、本件のような場合に過失ありとするには、本件のようなケースにおいては留置継続の必要性が消滅することが確立した判例であるか、裁判例・学説においても異論なき通説となっているか、実務の取扱いとして確立したものであるか、等についての検討がなされるべきであるが、原判決にはそのような検討をうかがわせる判示もなく、過失を認定した理由が明らかではないといわざるを得ない。

警察官の職務執行の法規違反と過失との問題について言及した裁判例として、水戸地裁昭五九・三・一五判決は、覆面パトカーの追尾による速度測定の適法性について争われた裁判において、「パトカーが速度違反車両を追尾する場合に赤色警光燈を点灯しなかったのは違法である」としながらも、同様事案でパトカーの違法性を阻却する裁判例の存在や「必要最小限度において赤色警光燈を点灯しないで速度違反車両を追尾することは正当業務行為である。」とする警察内部の見解等に照らして、「警察官の追尾行為は無理からぬ一面があった。」と判示し、警察官の過失を否定する見解を示しているが、正に、妥当な判断として参考になるものと思われる。

次に、「違法」の認定の誤りについて述べる。

原判決は、昭次郎に対する留置継続の必要性が「二三日昼頃には消滅した」として、「それ以後二四日午後三時五三分頃山科署において釈放されるまでの留置は、留置の必要性を欠く違法なものであった」としている。原判決のこの認定は、前述の国賠法第一条第一項にいう「違法」の意義に照らして、理由不備というほかはない。原判決の「違法」は、本件留置が留置権限を定めた法令(刑訴法)に違反しているとの判断から、当然に国賠法上の「違法」の結論を導き出しているとみられるが、原判決には、国賠法第一条第一項にいう「違法」が成立するとの理由は見当たらないのであって、この点についての検討が全くなされていないといわなければならない。

国賠法第一条第一項の「違法に」との文言の解釈については、民法の権利侵害と同義に解する狭義説と、これに固有の意義を与えようとする広義説との対立があるとされているが、「違法に」とは、厳密な意味での法規違反を指すものではなく、行為が客観的に正当性を欠くかどうかを判断することによって、決すべきことが有力な説として認められている(前掲古崎慶長著「国家賠償法」一七〇頁、一七一頁参照)。

すなわち、国賠法第一条第一項の「違法」を認定するためには、単に法規違反の観点からとらえるのでは不十分であり、同法規違反が国賠法第一条第一項の「違法」に該当するとするに足るだけの論理が存在しなければならないのであり(前掲村重慶一編「裁判実務大系一八・国家賠償訴訟法」一三二頁ないし一六二頁、三三七頁ないし三四八頁参照)、特に、本件のような「職務行為基準説」の類型に該当すると思われる事案における「違法」の認定は、職務行為規範に違反しているか否か、すなわち、「過失」の存否をもって判断されるべきであるのにかかわらず、原判決は、独自に判断した法規違反をもって国賠法第一条第一項の「違法」を認定していると認められるのであり、この点において重大な誤りを犯しているといわざるを得ない。

本件留置が、刑訴法の趣旨に反するものではないことは前述のとおりであり、さらに、過失の不存在とも相まって、留置継続の判断が捜査官としての職務行為規範に違反するところはない。仮に、本件留置が当・不当の問題を生ずるとしても、それは捜査機関に認められた裁量権の範囲内の問題であって、違法の問題は生じないというべきである(前掲古崎慶長著「国家賠償法」一七六頁参照)。

原判決が、本件留置を国賠法第一条第一項の「違法」に該当すると判断するのであれば、「過失」認定の具体的検討とともに、捜査機関に与えられた裁量権との関連においても詳細な検討を加えるべきであるのに、単に、本件犯行の罪体についての証拠が得られたこと及び昭次郎の身元が「確認」され、弁護士からの身元引受の申出があったことのみを根拠として本件留置を「違法」と判示する原判決は、前述の「留置継続の必要性の裁量権」の法理に照らし、さらには、国賠法第一条第一項規定の「過失」及び「違法」の法理に照らしても、理由不備のそしりを免れないのである。

第四 結語

一 留置継続の必要性に関する原判決の解釈・適用の不当性

1 刑訴法第二〇三条第一項に規定する被疑者留置についての法の趣旨は、被疑者からの弁解録取の段階で留置の必要が認められれば、特段の事情のない限り、法が許容した四八時間内の留置が原則として違法となることはなく、この場合の「特段の事情」とは、例えば、犯罪の嫌疑がないことが明らかになった場合、刑事未成年者であることが明らかになった場合、その他誰が見ても留置の必要がないことが明らかになった場合等を指すと解すべきである。

右「誰が見ても留置の必要がないことが明らかになった場合」については、逮捕の時点で認められた身柄拘束の必要性が「明らかに」消滅したか否かによって判断されるべきである。したがって、留置継続の判断に当たっては、逮捕の必要性としての罪証隠滅及び逃亡のおそれについての合理的な解釈が前提となるものであるところ、逮捕の必要性における罪証隠滅及び逃亡のおそれについての解釈が、初期捜査の必要性から柔軟に解さざるを得ないこと、すなわち、罪証が罪体に関するもののみにとどまるものではなく、逃亡が正当な理由のない捜査への非協力的態度をも含む概念であること、さらに、罪証隠滅及び逃亡のおそれがないとは明らかには認められない場合以外は、そのおそれの存在が推認され逮捕がやむを得ないと判断されていること、等が実務的な見解として定着していることに鑑みれば、原判決が判示したところの留置の必要性消滅の理由は、ここにいう「特段の事情」には当たらず、「逮捕の時点で認められた身柄拘束の必要性が明らかに消滅した。」場合にも当たらないと解されなければならない。

このことは、被疑者勾留の必要性の判断についての裁判例や学説の見解等との対比においても明らかである。すなわち、留置の段階における身柄拘束継続の必要性であるところの罪証隠滅及び逃亡のおそれの程度については、被疑者勾留の場合における「相当な理由」までも要求されるものではないことは勿論、勾留の場合よりも更に緩やかに解さざるを得ないことも当然であることからして、留置継続の必要性を判断する場合に罪証隠滅及び逃亡のおそれについての積極的認定を求めるのは不合理であり、「明確に」そのおそれが否定される場合以外は、身柄拘束の必要性は消滅したとはいえないのである。さらに、勾留の審査においても、住所・氏名や犯罪事実等の一切を黙秘する被疑者については罪証隠滅及び逃亡のおそれが推認され身柄拘束がやむを得ないものと評価されていること、勾留の必要性としての捜査の必要については捜査機関の判断が尊重されなければならないこと、さらに、適法な勾留状に基づく一〇日間内の身柄拘束の継続の判断については検察官の裁量権に委ねられていること、等の判断も示されており、留置継続の判断に当たっては、これらの判断が十分考慮されなければならないのである。

検察官への送致前の捜査に従事している捜査官に対して、複雑、微妙な法的評価によって判断し得るような結論や、勾留裁判官に求められるような静態的判断を求めることは、流動的発展の過程をたどる初期捜査の性格からして、著しく妥当性を欠くものといわざるを得ない。

2 上告人が前項第一の一において主張した「留置継続の必要性の裁量権についての基本的解釈」に異論があるとしても、原判決が確定した事実に照らした場合、原判決は刑事手続における逃亡・罪証隠滅のおそれの解釈についての基本的認識を欠き、さらに、事件が「軽微であるか否か」、「犯行の原因・動機、背後性等の捜査を行う必要があるか否か」等の事件の評価について、未だ結論をもって断ずることはできないと判断される初期捜査の段階において、継続捜査の必要性を否定すべき結論的判断を捜査官に要求するなど、本来立ち入るべきでない捜査の継続とその範囲についての捜査機関の判断に、許容限度を超えて立ち入ってこれを審査したと認められ、それらの故に、昭次郎についての逃亡及び罪証隠滅のおそれの有無の具体的解釈についても大きな誤りを犯した結果、結論としての留置継続の必要性についての法令の解釈・適用をも誤ったといわざるを得ない。

昭次郎は、京都市屋外広告物条例違反の現行犯人であると認められて警察官の質問を受けたのにかかわらず、同質問に応じようとせず人定事項を明らかにしようとはしなかったのであり、逮捕後も一切を黙秘していた。本件捜査に当たった捜査官は、そのような昭次郎の態度から、さらに、犯罪の原因・動機・組織性・背後性の有無、本件犯罪についての昭次郎の違法性の認識の程度等が不明であったことなどから、留置を継続して捜査を続けたものであり、たとえ、捜査によって昭次郎の身元が判明したとしても、罪体に関する証拠が得られたとしても、弁護士による身元引受けがあったとしても、留置の必要性が消滅したとはいえず、少なくとも、「明らかに留置の必要が消滅した。」場合に該当するとは、到底認められないといわなければならない。

本件逮捕を「不当逮捕」と一方的に決め付けて、抗議行動を展開していた事実に照らしても、逮捕前後の昭次郎の責任回避的態度に照らしても、留置の途中で昭次郎を釈放した場合には、昭次郎が組織を背景に捜査から逃避し、以後の任意捜査に応じる見込みがないことは明らかであり、誰が捜査官であっても、昭次郎の逃亡のおそれが消滅していないと判断し得たのであり、捜査が完了したとは到底いえない段階において、黙秘を続ける被疑者を釈放することは、検察官が処分を決する上で必要な情状に関する証拠の収集を放棄することであって、さらに、検察官による取調べの機会の確保にも重大な支障を来すことにもつながるのであり、第一次的捜査機関としての責任を放棄するに等しいといわざるを得ないのである。

原判決は、第一審が認めた組織性等についての関連捜査の必要性を削除したのみならず、本件犯行が「単純であって、留置を継続してまで組織性等の捜査の必要性はなかった」旨を判示しているが、同判示の理由が付されているとは認められず、原判決が引用した第一審判決における関係判示との間には理由の齟齬があるばかりでなく、具体的事実に即した合理的な判断の上からも、留置の必要性についての法律の解釈・適用を誤っているといわなければならない。

二 国賠法上の「違法」認定に関する原判決の解釈・適用の不当性

国賠法第一条第一項の「違法」を論ずるに当たって、本件のような事案が、いわゆる「職務行為基準説」によって判断すべき事案に該当することについては異論はないものと認められるが、原判決が確定した事実に照らした場合、捜査官らは、事案の真相を明らかにして再発防止を図るべき職責の自覚と使命感に基づき職務を遂行したものであって、いずれの捜査官であっても、本件の捜査を担当した場合に、原判決のような「違法性」を認識して、措置することは到底期待できなかったと認めるべきであり、本件留置継続には職務行為規範に違反するところはなく、過失は存在しないのであって、国賠法上の「違法」はなかったといわざるを得ない。

本件のような留置継続を違法と断ずることは、判例において確立しているとは認められず、学説においても通説として明確であるとは認め難い。また、実務的にも定着した判断ではなく、むしろ、実務的な判断としては、本件昭次郎の留置継続は、やむを得ないものとして是認されるべきである。なぜならば、留置継続の判断には、捜査完了後の結果論的評価は別として、留置段階における捜査官の判断としては、一応の合理的根拠が存在していたのであり、仮に結果としてその判断の誤りを指摘し得るとしても、その誤りが、到底その合理性を肯定することができない程度に達しているとは認められないのである。

本件留置の継続を「違法」と断定したのは、あくまで原判決の独自の判断であって、しかも、事後においての静態的な判断により、微妙な法的評価を加えた結果としての結論と認められるのである。逮捕後の留置段階である流動的初期捜査段階における捜査官として、その時点で当然になすべき判断の結果ではあり得ないのである。

原判決は、国賠法第一条第一項規定の違法性認定の前提としての公務員の過失の存否について、法律の解釈を誤って適用したものといわざるを得ない。

三 まとめ

以上の次第であるから、本件留置継続の違法を認めた原判決は、明らかに、理由不備及び理由齟齬があるだけでなく、判決に影響を及ぼすことが明らかな証拠法則及び経験法則の違背があるとともに刑訴法第二〇三条第一項の留置の必要性に関する解釈と国賠法第一条第一項にいう「過失」及び「違法」の解釈を誤って、これらを適用したものであり、破棄を免れないのである。

日本の治安状態が他国に比して良好なことについては、疑う余地はない。このことは、日本の国民性にもよるものと思われるが、治安の維持を担当する第一線の警察官が、あらゆる角度からどのような悪をも見逃さないという意欲的な態度で、犯罪や事故の防止に取り組んでいることによることが大である。本件のような留置継続について、原判決がその一方的な見解に基づいて、これを違法と断ずることは、いたずらに第一線の警察官の職務の執行を消極化させ、ひいては、治安の維持に与える重大な影響を含んでいるといわなければならず、到底法の容認するところではない。

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